夜食に春雨

辺境に生きる文字書きです。

 

【その町の祭り】

 

一次創作。習作です。

 

 

 

 どれだけの猛暑でもコロナ禍だろうと、一つの神輿を担いで音頭を取る男手と、壇上で舞を披露しないといけない祭りがある。巫女は必ず三人必要で途中何があっても舞を止めてはいけない。

 その年は過酷な猛暑で、幕を引いた壇上は人が立っていられる暑さではなかった。ああ、しかし今年も祭りを行わねば、その年に選ばれた巫女たちは血筋など関係なく、ただ町内会で募集をかけた女の子たち。

 一人は小学五年生、残りの二人は親に言われて渋々引きうけた中学二年生。祭りまで半年ほどかけて奉納の舞を学び、一歩の幅まで事細かに指導される。少しばかり窮屈な祭り事だ。

 そうして最後に必ず「何があっても舞を止めるな」そう、耳にタコができるほど言われ続けた。しかし先述したとおり、その年は息をするだけで熱風が体内に入り込む程の猛暑だった。

 

 祭りが始まり、男手たちが褌引き締め御輿を担ぐ。爽快な囃しに飛び散る汗、ぐらりぐらりと茹だる熱気に身を任せて決められた道順を神輿が通る。

 

さあ、巫女の舞が始まる。

 

 まずは、中学生二人が手順の位置について神楽鈴を二回鳴らす。頭一つ分、小さい小学生は中央で座し、姿勢を崩さぬように言われている。緩やかに流れる音楽に合わせ知らぬ歌声が辺りに響くが録音したものでしかなく、ただの形式を思わせた。

 形式だけとなった舞に注目するのは町内の老人たちと自分の子供を見守る保護者程度で、殆どの人間は好き好きに屋台を覗きまわり友人とのお喋りにと忙しい。壇上の巫女たちの顔もそれほど緊張していないよう。

 立ち位置の一つから指示されるとはいえ、半年もみっちりと予定を詰められて覚えた舞だ。それ自体が難しくないことも相まって、親同士の繋がりなどで渋々参加している三人は「早く終われ」と心の中で願っていた。

 

ところが。

 

 暑さの所為だろう。中央に座し、そうして二拍遅れて動くよう教わった小学五年生の彼女が立ち上がりざまにフラリと体を倒してしまった。その瞬間に緊張が走り、左右で舞っていた中学生たちも視線をやる。

 しかし、そう「何があっても舞を止めるな」その言葉に抑制されて、自分達よりも年下の女の子が巫女装束の重さと、そうして壇上を覆う熱気で上手く立てないというのに駆け寄ることも出来ない。

 しかし、壇上で起き上がれぬため舞えぬ小学生と駆け寄れぬ歯痒さで舞いの動きが鈍る中学生二人の緊張した空気感とは裏腹に舞を見ている大人たちは優しい視線を送ってくる。

「大丈夫、続けなさい」

 壇上を見上げる町内会長の口元がそう言っているように見えて、転んでしまった小学生と、その左右で舞いを構える巫女たちの緊張も一気に緩んでいく。

 転んでしまったことを叱責されることもなく、何か異様なことが起こるわけでもない。所詮は町内会で何となく選ばれただけの子供たちだから気を引き締める為に厳しく言っていただけの事だと安堵する。

 そうして無事に祭りは終わり半年かけて学んできた舞を、来年は別の子に伝えていくのだと知った中学生たちは恥ずかし気にはにかんで、失敗してしまった小学生の子は少しばかり落ち込んでいた。

 

 何てことは無い。

 その日からキッカリ一週間後。

 

 巫女として務めた小学生の彼女は、消えてしまった。

 

 それはもう、忽然と。行き先を告げるでも家族と何があったわけでもなく、ただ、その日、その町で「女の子が一人消えた」

 母親が警察に駆け込んで捜索願を出し、寝る間も惜しんで深夜だろうとお構いなしに娘の同級生が居る家のインターホンを鳴らす。己の子が急に姿を消したのだから、取り乱すことも無理はないと周囲の人間も母親へ同情の視線を向ける。

 しかしどうしたことか、娘の父親はそれほど動揺していないように見えた。何処かで「仕方のないこと」そういった視線で、何もかもを諦めた顔で近所や学校を徘徊する伴侶を引き留めていた。

 けれどそう、父親は彼女が何処に消えたか知っている。正確には、消えてしまう理由を、そうして、もう二度と会うことが叶わないことも分かっているので、諦めるしかない。

 

 ……だって、娘は失敗してしまったのだから。

 

◆◆◆

 

「居るんだよなァ」

 町内会長が、ユラリ揺れるロウソクの火を頼りに煙草へ火を点けて、娘を巫女に推薦した父親の顔へと煙を吐き出す。屈辱的な行為を受けているというのに、父親は眉一つ動かさずに町内会長の言葉と煙を呑み込む。

「ソレは、居る。俺達にもソレがナニカなんざ知らねえ、だけどなあ、居る。祭りを行わない年にナニカが町の奴を食いちぎり、巫女を揃えられなかった年の会長は首だけブラリと居間に転がっていたそうだ。ああ、ああ、ソレはなんだろうなあ、何なんだろうなあ……」

 何処か不気味な言い方をしながら、町内会長が煙草を持たぬ方の手元で薄茶色の封筒を揺らす。その中に「娘と引き換えてでも必要なもの」が入っていると言う。

「舞を納め、祝詞を献上し、無事に祭りを成功させれば万々歳。なぁにも問題はなく、滞りなく、ソレは何もしねぇ。それでなあ、お前さん」

 トンッと灰皿へ灰を落としながら、町内会長が申し訳なさそうに、いいや、そう見えるよう演じながら、首をぐるりと回した。

「もしも、だ。もしもお前さんの娘が『間違って』しまったとき、そいつは仕方がねぇけれども、もう、諦めてもらわないとならん。ああ勿論、舞を奉納してくれるだけで、ちゃあんと手当は出るから安心してくれ。ただ、万が一って、あるだろ?」

 

 そのときは、ホラ。

 

 町内会で巫女を引き受ける家庭の父親だけに伝えられる交渉であり、母親は何も知らない。だから、ほんの少し動きを鈍らせてしまった中学生二人の家には、それぞれ「父親が貰う小遣い」にしては、それなりに多めの手当てが内密に渡されていることを、母親たちは知らない。

 そうして……。失敗してしまった小学生の女の子は、もう、帰ってこない、帰って来られないことを母親は知らぬまま、父親だけが全てを知っている。無事に祭りを終えられたのならそれで良し。仮に失敗したとて。

「なぁにも、奉納は舞じゃなくても、良いからなァ」

 ゆったりと話す町内会長から、薄茶色の封筒を受け取った父親は瞳の奥で罪悪感を濁らせながら、何を隠すこともなく封を丁寧に開いた。己の娘を失ってまで、それに対して悲しむよりも前に。

「あ、ああ……! これが、」

 グワッと目を大きく開いて、中に入っていた数枚の紙面を大事そうに数えて、そのうちの一枚に慈しむように指を這わせる。ああ、ああ、ようやっと。紙面には、一人の女性の個人情報がツラツラと書き連ねられているようだ。

「やっと、だ。彼女の、ふふ、……ふふふ」

 それは父親が初めて恋をし、愛しさを溢れさせてしまったばかりにストーカー化して接近禁止を言い渡されている最愛の人だと、そのことも母親は知らない。そう、何も知らぬまま、大切な娘を探し続けている。

 かつて居場所を隠された相手へ会いに行くため、娘の父親が全てを捨てて消えてしまうことも、そこまで分かっていながら静かに狂人を眺めながら煙草の煙を揺らす町内会長のことも、何も知らない。

 

 その町には、ナニカが居る。

 それはひどく恐ろしく人を攫うナニカで。

 

 しかして。

 ……娘を差し出してまで己の欲に従順な父親の影が、ニタリと。

 

 化け物の顔をして、哂う。